ゲームの没入感ってつまりどういうことなんだろうと最近考えています。Steamで買った「暗示」の演出や「ウーマンコミュニケーション」を引き合いに出しつつネタバレをしまくっているのでご注意ください。私は暗示の評価はおすすめできない、ウーマンコミュニケーションの評価はおすすめできる派です。
少し前にひたすら暗い非常階段を降り続けるゲームが出るよと暗示の予告をXで見かけまして、いい雰囲気だし心細くなりながらただ歩くのっていいなとウィッシュリストに入れて発売日に買ったのでした。で、実際にプレイしてみて「んんん~~~~????」となって今に至ります。
暗示の何がそんなに引っ掛かってるのか考えると、途中と最後に入る強制終了の演出です。他にも制作者はゲームパッド操作をやたら推すもののスティックで移動やカメラ操作するのが緩慢すぎてつらいとかもありますが、不便だなあくらいに思っていたのが「え?」と気分が萎えてしまったのは赤い服の人影が目の前に現れた後の強制終了でした。終わり方もブー……という音(Beep音と言えばいいのでしょうか)とともに画面にノイズが走ったようなエフェクトで、それが私にとってはひどくがっかりするものだったのです。夜遅くに会社ビルの20階から狭い非常階段を歩いて降りていく流れは縦型の画面で一層細長く視界が狭く感じられて、薄暗い階段のさらに暗い外を見遣ったらおそろしい物が見えてしまうような、夜中に怖い話を読んだ後の不安感に似たイイ感じの心細さがあって「没入感だ」ととらえました。しかしそこから急に、これはゲームですよと強く訴えてくる音やノイズと同時に強制終了することで私の感覚は非常階段を歩く会社員からノートパソコンの前でパッドを握る自分に引き戻されたと言いますかゲームから突き離されたような気分にすらなってしまいました。あのピーとかブーの音が鳴って画面がおかしくなるのがどうにも昔のファミコンでよくあった「テーブルや床に置いてゲームしてたら母親が掃除を始めて掃除機がぶつかってブーってなってやり直し」の記憶と固く結びついてしまっていて、ただの強制終了以上に現実に引き戻されてしまったように思います。音とノイズの演出が無ければ少しはマシだったような……。
強制終了周りが感情面の没入感を殺ぐ仕掛けだとしたら、歩いたり振り向いたりの操作がひどくもっさりしているのは動作面の没入感を殺いでいました。キーボードとマウスでやるとマシになりますが、とにかく左右や後方を見るのにカメラ移動が遅く、しかも視界を動かすだけで自分の足音が鳴ってしまいます。「通り過ぎた背後で何かが割れる音がした、びっくりしながらつい振り向いてしまう、見たら見たで絶対怖いのについ振り向いてしまう!」……という場面でぐり~~~~んと背後を振り向きながらコツコツカンカン自分の足音が鳴ってしまう、このもどかしさやがっかり感。自分以外の足音!? と思ったら普通に自分の足音だったというのはもう少し長い直線を歩くうちに錯覚してほしいネタですし、驚いてバッと真後ろを向いたら何か居てもいいし居なくてもいい、そういうテンポが欲しかったんですが。
こうして事前の情報や本編の画面から没入感を重視しているような雰囲気を出しつつもそうではない作りでひどくしょんぼりしてしまったのでした。
強制終了のオチだと最近遊んだ中ではウーマンコミュニケーションがすごく良くて、そもそも私はゲームと言うと昔のコンシューマーのイメージなのでゲームを終えるのは自分の意思で電源ボタンを押すものという認識だったんですね。ゲーム中盤からあれはさっちんが作り出したゲームの世界だと明かされ、主人公の背後に存在するプレイヤーにもさっちんは語りかけてくるようになり、さっちんはゲーム世界の住人どころか私たちの同じ次元にも存在する……となるようなメタもメタのメッタメタな話になるのですが、ゲーム開始時点で一瞬走るノイズなどの仕込みはあって、特に終盤でさっちんがセンシティブワードを監視する仕事についてあんなに楽しそうに無意識風紀違反を取り締まっていたのだから自分に代わってこの役目に着くのに文句はないだろう……と言った時にもドキリとしたものです。あんなの楽しくなるに決まってるじゃないですが、本来そんな言葉は口にしてはいけないしせめて言い換えようと律するような言葉を探して探して打ち抜いたらスコアが上がって愉快なSEで盛り上げてダブルショットでの富士山を背景に歓喜の歌が流れる演出なんかおバカ! 好き! と心の中のクソガキがはしゃいでいた自覚があったので、さっちんの手の上でいいように踊らされていた感覚にゾクゾクしたのでした。エンディングのひとつでは最後にさっちんはプレイヤーの記憶だけでなくこれからの経験にも自分の存在を刻み付けて(実際新年にあけおめことよろなんて言葉を見ると頭の中でプァ~ンと高らかに鳴ってました)その上でお別れだと告げてフッとゲームは強制終了するんです。あの終盤の盛り上がりから、ゲームの中でこれからも交流していくのかな~と呑気に思っていたのが唐突に無音でデスクトップ画面の前に放り出された時の感覚は空虚とも充実ともつかない不思議なものでした。
ゲームシステムとしての操作と設定されたシチュエーションやストーリー、双方の没入感を逆手に取って――逆手に取るということは最後までそれを意識してくれていたということで、メタフィクションの要素をじっくり描写してくれたので強制終了オチがあんなに響いたのかなと感じます。前向きなニュアンスだからなのもあるのでしょうが。
没入感を売りにする場合、そのゲーム世界に最後までひたらせてほしいなと自分のスタンスは分かった気がします。